脳幹が彩る「善・悪」のある世界

なぜ?「つい、やりすぎてしまう」その答えは、あなたの脳にあるのかもしれない

ついついスマホゲームに熱中してしまったり、ショート動画を延々と見続けてしまったり。インターネットで調べ物を始めたはずが、次々と関係のないページに飛んで時間を忘れてしまう…。最近では、AIに質問を投げかけるのが面白くて、気づけば何時間も対話していた、なんてこともあるかもしれません。

「もうやめよう」と思っているのに、なぜかやめられない。そんな「つい、やりすぎてしまうこと」に、自己嫌悪を感じてしまう人もいるのではないでしょうか。

しかし、それは必ずしもあなたの意志が弱いから、というわけではないのかもしれません。その答えは、私たちの脳の奥深くにある「本能」にある可能性があります。

私たちは、常に「理性的」なわけではない

人間は、常に理性的な判断だけで行動しているわけではありません。もし、私たちの行動のすべてが理性に基づいていたとしたら、空腹を感じて食事をしたり、危険を察知して身を避けたりといった、生命を維持するための行動すらままならなくなるでしょう。

人が人として、生き物として活動できるのは、まさに「本能」による働きがあるからです。

行動の鍵を握る「脳幹」

私たちの脳の中心部に近い場所には、「脳幹」と呼ばれる部分があります。この脳幹は、呼吸や心拍、体温調節といった生命維持に不可欠な機能や、喜怒哀楽といった感情など、より本能的な働きを司っています。

実は、私たちが何かを「良い」と感じたり、「悪い」と感じたりする思考の根源も、この脳幹の働きが大きく関わっているとされています。つまり、あなたの「善悪の基準」は、この脳幹が正常に機能することで成り立っているのです。

「つい、やりすぎてしまう」の正体

ポジティブな感情も、ネガティブな感情も、その源は脳幹にあります。そして、善悪の判断基準もまた、脳幹が彩る世界の一部です。

そう考えると、「つい、やりすぎてしまう」行動も、見方が変わってくるかもしれません。

  • スマホゲームや動画:これらが与えてくれる達成感や興奮は、脳幹を刺激し、「快」の感情を生み出します。本能が「もっと快感を」と求める結果、ついやりすぎてしまうのかもしれません。
  • ネット検索やAIへの質問:知りたいという欲求は、生存本能にも繋がる根源的なものです。次々と新しい情報を得ることは、脳にとって刺激的であり、脳幹が「もっと知りたい」という信号を送り続けている可能性があります。

「つい、やりすぎてしまうこと」に悩んだ時、自分を責める前に、少しだけ脳の仕組みに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。それは、生命を維持しようとする本能的な働きの一部なのかもしれません。

自分の行動の裏にある脳の働きを理解することで、自分自身を客観的に見つめ直し、上手な付き合い方を見つけるヒントになるかもしれません。